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ブログ こんにちは田中です!
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GW 錦帯橋・鞆の浦・尾道千光寺
岩国の錦帯橋・福山の鞆の浦・尾道千光寺へ
①錦帯橋と岩国城・・・TV「ブラタモリ」でも放映されましたが、歴史的にも建造物としても興味深く、そこを渡って、そして城からも眺めてみたかった。
宿泊は錦帯橋の目の前、岩国国際観光ホテル。露天風呂良し、錦帯橋を眺めながらの会席料理は絶品でした。
②2日目は、広島県福山市の「鞆の浦」へ、1867年(慶応3年)4月23日坂本龍馬の海援隊の「いろは丸」が瀬戸内海の六島沖で、紀州藩の「明光丸」と衝突沈没。紀州藩と談判交渉した場所が鞆の浦でした。
交渉中に龍馬が宿泊した宿で、身の危険からの隠れ部屋も訪れました。
現存し、かつて龍馬が寝泊まりした部屋に入ることができ不思議な気持ちになりました。
最初の談判をした場所
「いろは」宿泊もできますが、食事が出来「鯛漬け料理」がいただきました。運よく昼の開店している時間最後ギリギリで入れました。鯛漬けとだし巻き卵が物凄く美味しかった。
鞆の浦のシンボル常夜燈
このすぐそばに「いろは丸展示館」が
詳しく衝突事故について展示が
談判交渉のあった對潮楼から見える景色
そして龍馬の隠れ部屋のある「桝屋清右衛門宅」へ
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(HRM社会保険労務士田中事務所) 2024年5月 7日 18:08
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東海道五十三次 Noboru ウォーキング③
不思議の気持ちになります。関宿から庄野宿15㎞、庄野宿から四日市宿15㎞、そして
四日市宿から桑名宿14.5㎞の3回を振り返りました。京都三条大橋から121.5㎞の総距離となっています。
関宿から庄野宿では、結構な雨が降る中のウォーキングでした。危険ということで傘をさしての歩行は禁止のルールで、カッパを着てとなりました。ゴルフで雨の中のラウンドは経験ありますが、一日中でしたのでカッパも靴もベタベタで大変でした。関宿のとおりを一望できるところからの景色も雨でけむる感じでした。
東海道関宿名物 志ら玉の前田屋製菓 お土産に買いました
現存する野村の一里塚
庄野宿から四日市宿では、広重の名画「庄野の白雨」では、絵の構図や人の動きも面白いが、傘に「五十三次」と版元の保永堂のオーナー名「竹のうち」を宣伝として入れるなど興味深いものでした。そして、広重の「石薬師の蒲桜」は、ゴッホの絵にも描かれていることを知り、不思議だな~と!
石薬師の一里塚
石薬師寺に、広重の「石薬師の蒲桜」とゴッホの「タンギー爺さん」
のポスター絵。反射がありうまく撮れませんでした。不思議でした。
あすなろう鉄道 追分駅
「日永の追分」伊勢街道と東海道の分岐点
四日市は諏訪大社から
今回の終点は桑名宿の七里の渡しまででした。ウォークリーダーのガイドが素晴らしく、歴史に詳しい上に、エピソードなどを交えて解説してくれて、毎回楽しみなのですが、知らないことを教えてくれるので、新鮮です。それが今回は、「町屋御用水」!
昨年の大河「どうする家康」でも注目された家康の側近「徳川四天王」の一人「本多忠勝」が関が原の戦いのあと、西の要衝、重要拠点として任されたのが桑名藩で初代藩主でした。そして、桑名城の築城とともに城下町の町並みも整備されるなか、水の確保が緊急課題となり、4代桑名藩主、松平定行(さだゆき)が上水道の建設を命じ、1626(寛永3)年より着手したのが「御用水道」、通称「町屋御用水(まちやごようすい)」。
桑名は木曽・長良川の河口に位置し、元々は海であった場所に泥や砂が堆積してできた低湿地帯のため、水質が悪く飲料水を得るのが困難でした。そこで町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下に筒を埋め、所々の道路中央に正方形の升を開けて、一般の人々が利用しました。これを「通り井」というそうで、「町屋御用水」は、町屋川を水源とした全長約2kmの水道です。町屋川から吉津屋御門(今の鍛冶町・旧ふれあい教室)まで開渠(かいきょ)で通され、そこから先へは地中の樋管(ひかん)を通って城内及び城下の町へ水が運ばれていました。こうして「町屋御用水」は、明治時代に近代水道(諸戸水道)が開通するまで約280年間もの間、桑名町民の生活を支えていました。1962(昭和37)年、工事のため道路を掘っていて、「通り井」跡の一つが発見されました。現在は道路面に「井」と書かれた石がはめこまれています。写真
江戸時代に2kmもの導水し水道を整備するとは凄い治水技術だったと、初めて知り感心して町を歩いたのでした。
桑名神社と春日神社
桑名城の御堀と石垣
通り井の石
七里の渡し跡
(HRM社会保険労務士田中事務所) 2024年5月21日 18:03
東海道五十三次 Noboru ウォーキング②
東海道を江戸日本橋に向かって!
3/30(土)水口宿~土山宿へ 約16㎞
水口宿本陣跡を出て近江鉄道踏切を超えてゆきます。
徳川四天王の本多忠勝の叔父が住職であった「大徳寺」大将軍徳川家康から名前がつけられたと
境内の一角に「家康が腰掛けたという腰掛け石」があり、座ってみました!
...
未だに住みながら保存している数少ない土山宿本陣、館内には貴重な資料がすらり、宿帳には勝海舟の名も!
4/6(土)土山宿から鈴鹿峠を越え、坂下宿、そして関宿へ! 約14㎞
道の駅「あいの土山」の目の前にある田村神社から出発
鈴鹿峠を下っていきますが、下が滑りやすくストックを使って下りてゆきました。
1979年に廃校になった旧坂下尋常高等小学校↑
関宿入り口までわずかになったところで、中京テレビ番組「PSゴールド」で
有名になった焼肉店「びっくりや」!が右手に!
関宿入り口でゴール!この日は桜がどこも満開でキレイでした!
京都からの歩行総距離は80㎞、まだまだ先は長い!
(HRM社会保険労務士田中事務所) 2024年4月13日 13:25
東海道五十三次 Noboru ウォーキング①
関ケ原の戦いのあとに徳川家康が全国の街道整備した中でも重要な街道であり、京都と江戸を結んだ
東海道を歩くことにしました。
「五十三次の宿場、宿から宿へ、毎回10㎞から15㎞ほど歩く、1年半かけてツアー」で京都から江戸日本橋まで上ります。
1/27(土)の京都三条大橋から大津宿、2/3(土)草津宿、2/24(土)石部宿、3/2(土)水口宿まで約50㎞上ってきました。
街道沿いの歴史などをウォーキングガイドさんから聞きながら見ながらの旅歩きです。
歴史・地理が好きな私にとっては、魅力満載の旅です。
学生時代そこへ行ったことがあるのに、あるいは通ったことがあったのに、知らなかった歴史や事柄に触れることができ非常に面白いです。
これまでの4回の中では、初回京都三条大橋から大津宿が非常に興味深い歩きでした。初めて知ることばかり!
①京都三条大橋の幕末の池田屋事変の刀傷が大橋の欄干の擬宝珠にある事
②京都~大津宿の間に逢坂峠など山坂を牛車が通る際に、ぬかるんだ道だと上がれないなどを防ぐために「車石」と呼ばれる石を敷き詰め、車輪が通る2本筋を石に掘って、さながら鉄道のレールのような役割でスムーズに往来できるようにしたというもの、実に機能的でした。
京都三条大橋にある『東海道中膝栗毛』の主人公の弥次郎兵衛と喜多八、『弥次さん喜多さん』が。ここをスタートしました。そして刀傷が
京都蹴上にある琵琶湖疎水の南禅寺へ続くインクランにある「ねじりトンネル」
この近くには日本初の水力発電所あともあってビックリ
実際の車石が途中休憩できるスペースにありました。
そして途中には大津から京へ向かう際に分かれ道となる追分なども残っていました。
左手は宇治へ向かい道。
大津宿から草津宿への途中に瀬田の唐橋があり、「急がば回れ」の由来も
草津市のマンホール
近江富士と草津線の電車 草津宿から石部宿へ向かう途中
石部宿から水口宿への途中、江戸時代1822に建立された横田の常夜燈、ここに野洲川の渡しがありました。
水口神社にある案内、水口曳山祭が毎年4月に!
(HRM社会保険労務士田中事務所) 2024年3月 8日 17:30
谷汲山 華厳寺
先週末に、岐阜県の谷汲山華厳寺そして滋賀県米原にあるローザンイルミ ~ひかり奏でる丘~を訪れました。
谷汲山華厳寺は2度目の参拝でした。節分以降2月いっぱいは、赤鬼さんが山門に立っているようで、股の下をくぐれば厄除け1年無事だそうで、くぐってきました。
境内は歴史が感じられ、本殿は特に荘厳な雰囲気で気持ちが引き締められました。
ローザンイルミ ~ひかり奏でる丘~は、コロナ禍に限定イベントで2/12をもって4年間のイルミネーションは終了となりました。
いろいろ工夫されていて見ごたえありました!
(HRM社会保険労務士田中事務所) 2024年2月16日 10:06
年の瀬の旅
先週末に行ってきましたが、この時期にしては初めて天候に恵まれず、
しっかりと眺めることができませんでした。
今年の大河ドラマ「どうする家康」が昨日終了しましたが、「久能山東照宮」に2017年1月以来、2度目の参拝をして
改めて徳川家康を感じてきました。
12月にしては気温の高いため降った雨なのでしょう。濡れた拝殿、階段をそろそろ歩きました。
本殿、家康の神廟、逆さ葵、博物館を見て回りました。
「逆さ葵」どこにあるでしょう
日本平ホテルからの富士山は初日夕暮れ時に、一瞬だけてっぺんだけ見せてくれました。そして
翌朝は、雨予報の中、くもりの中にも明るいところが・・・すそ野がみるみる見えてきましたが
やはり全体は見ることはできませんでしたが、どこにあるのかはハッキリと分かっただけでも良かったです。
日本平をあとにして、家康の出世城である浜松城へ向かいました。
晴れていましたが、天守から家康も見たであろう遠くの富士山は、やはり雲が多く見えませんでした。
この日は浜松から伊良湖へ向かい宿泊
翌日、豊橋を抜け、長篠の合戦跡、新城市設楽原へ
450年前に、織田・徳川連合軍対武田軍の戦いがあった場所を訪れました。
「馬防柵」があった場所に来て、その激しい戦いがあったことを想像すると不思議な感覚になりました。
<おまけ>
豊橋市内を抜ける途中、偶然、豊橋鉄道市内線の冬の風物名物電車「おでんしゃ」に遭遇
貸し切り路面電車で、その名の通り「おでん+お酒」の良い酔いの電車でしょう。
(HRM社会保険労務士田中事務所) 2023年12月18日 14:48